我が家の「ルーツの旅」。
2023/10/09
10月7日~8日にかけて、私たち夫婦の「還暦祝い」を兼ねて「伊勢参り」の旅行を、子供たちよりプレゼントされた。
伊勢神宮の外宮で各宮所を参拝し、その後は内宮へ移動して正宮と別宮を参拝しました。
凛とした空気の中で、日本の神社の総本山とも言われる伊勢神宮にお参りでき、清々しい気持ちとなりました。「おかげ横丁」で食事やお土産を購入して楽しい旅でもありました。
実は、この旅には我が家の起源とも言える「ゆかりの地」へ行く目的が有ります。それは、伊勢市二見町にある「二見興玉神社」です。
我が家は、大正10年1月に私の祖父(初代)が結婚を契機に、三男だった祖父が本家より分家独立し、大正10年6月に祖母との婚姻によりスタートした家柄です。私の亡父が二代目で、現当主の私が三代目で、息子が四代目の予定です。初代の祖父は分家前の青年期に「伊勢参り」に行き、有る親近感からこの「二見興玉神社」にも参詣し、とても感動したのか直ぐに「氏子」となり、我が家の屋号を「二見屋」と定め数々の事業を起こしたそうです。(燃料販売業や軍服縫製卸業等の軍需関係の事業で隆盛したが、敗戦による日本軍解体により事業撤退)
「二見興玉神社」への信仰は、私の父が亡くなるまで続き、毎年の正月に「二見興玉神社」から贈られてくる注連縄で我が家の神棚を飾るのが習わしとなっていました。(当然ながら亡父も伊勢参りと二見興玉神社への参詣を行っています)
私の祖父が、この「二見興玉神社」へ参詣した切っ掛けは「ある親近感」です。祖父の実家(本家)は、長らく山形県置賜郡豊田村(当時の所在地名)で、江戸時代に上杉家御用達(米沢藩)の造り酒屋として財を成し、明治維新後は大地主となり、山形県では「置賜一の大地主」として君臨していました。毎年秋になると、多くの小作人からの米が蔵を埋め尽くしていたそうですが、納税方法が貨幣に変わり、我が一族は小作人からの米を元手に事業を起こして、貨幣を得る事に苦慮したそうです。(コメは主食では有るが、明治以降の近代化で消費減少し相場が崩れた)
私の祖父は「二見興玉神社」の「興玉(オキタマ)」と、故郷である「置賜(オキタマ)」に強い親近感を感じて参詣して氏子となり、「二見」の地名にならい「二見屋」との屋号を付けたのです。(本家が出資者となり、明治以降に分家を許された歴代当主の兄弟が「屋号」を名乗り起業したとの事。だから分家筋の親戚は「〇〇屋」などの屋号呼びだらけです)
日本の敗戦と共に、大地主だった本家は「農地解放政策」(農地は小作人に強制開放)であっさりと没落し、分家の祖父も軍需産業解体で事業を喪失し、本家からの支給米も無くなり経済的元手を失い、失意のうちに病死しました。(私が生まれる前に死亡)
我が家には「夫婦岩」の大きな額縁写真があり、今も「家宝」として飾られています。今回の伊勢参り旅行で「二見興玉神社」に私達家族も参詣でき、我が家は四代に渡りこの地へ立ち、この二見浦の景観を見る事が出来ました。この意義ある旅行をプレゼントしてくれた子供たちへ感謝です。
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